羹(あつもの)は遠く平安時代、遣唐使によってもたらされました。中国の羹とは鳥、獣、魚、貝の肉や肝を使ってつくる吸いものでありました。当時日本では肉や肝のかわりに、植物性の原料(小豆の粉・山芋・小麦粉・くず粉)を使い、さまざまな、動物の形に切って蒸し、吸いものの中に入れました。海老羹、白魚羹、猪(ぶた)羹、羊羹などの羹のうち羊羹が鎌倉、室町時代、点心として利用されるところとなり、ここに羊羹の歴史が始まります。
江戸時代なか頃の京都や長崎、あるいは寛政期(一八世紀後半)の江戸において砂糖、小豆、寒天を原料として煉りあげた羊羹が創りだされ、現在の煉り羊羹の形を整えたといわれます。砂糖は当時たいへんな貴重品であり、形がまとまっていて独特の風雅な味わいの煉り羊羹は、今を思うと夢のような菓子であったわけです。
羊羹の産地として知られる小城は古代より歴史の宝庫であり、中世関東の豪族千葉氏によって肥前(佐賀県、長崎県)の中心を担った時代がありました。千葉氏の養子として、十年間小城に居住した佐賀鍋島藩祖鍋島直茂は、幕藩体制の下で小城藩七万三千石を孫鍋島元茂に与え、江戸時代においても門前町城下町小城の伝統は受けつがれました。
南北朝時代に相模国(さがみのくに)鎌倉から肥前に移ったとされる村岡家は小城藩に仕え、代々米穀商を営みました。藩政時代、千葉氏城下町の中心であった北浦、吉田、横町を担当し、地域の拠点となったとされています。伝統菓子の元となる穀類等の情報は古くから村岡家に伝えられてきました。
明治32(1899)年 村岡家当主村岡クニと長男安吉は長崎の羊羹職人陣内啄一(じんのうちたくいち)から羊羹づくりの技術と道具一式を譲り受け、羊羹づくりが始まります。
創成期、大八車(車力)で運搬する羊羹を入れる木箱に「小城羊羹」の名を入れた村岡安吉は「おぎようかん」の名付親といわれています。
1930(昭和5)年米国ニューヨークに始まったとされる食品のアルミ包装は昭和10年頃より日本の羊羹製造に用いられるところとなりました。
缶詰包装より軽く安価なことから普及し、羊羹の日もちが改善されてこの現代製法の羊羹が全国に広まりました。それまでの伝統製法のあじわいは小豆などの豆の風味が伝わりやすく、舌ざわりも心地よいことから、小城を中心とした地域に残り、「おぎようかん」は今もなお、この二種の製法で製造されています。
伝統製法の羊羹は独特の煉り具合と配合で格別の舌ざわりを表わす羊羹です。原料の配合と寒天の選別、煉り具合によって煉り羊羹の前身である蒸し羊羹につながる風味豊かで格別な舌ざわりが楽しめます。みずみずしい舌ざわりのでき立て、薄氷のような砂糖衣の中間品、シャリ感あふれるきんつば状の砂糖衣と、三様のあじわいがあり、羊羹の真髄はここにあるとされています。
竹の皮や経木(きょうぎ)で包む伝統包装が続けられ、「おぎようかん」の百年以上の伝統が息づいています。
北海道産、備中産(岡山)、丹波の豆を羊羹によって使い分けています。
豆、砂糖、寒天を原料として羊羹がつくられます。最上のあじわいを目指してきた村岡総本舗は、常に優れた原料を選択してきました。
名水百選清水川水系の恵まれた環境は、羊羹のあじわいをさらに豊かなものとしています。
羊羹のあじわいを決める豆の風味は「あん」づくりによってもたらされます。村岡総本舗ならではの「あん」づくりは長年の改良によって高い精度が保たれ、今日のおいしさにつながっています。
平成二十七年村岡総本舗独自の「あん」づくりが伝統食の本物として評価され、伝統製法の村岡総本舗特製切り羊羹本煉は「本場の本物」に認定されました。
「羊羹の本場」と小城がいわれるようになったのは百年以上前の大正時代(1912~1925)前半でした。明治時代からの戦争と鉄道の普及により羊羹の需要が飛躍的に高まり、豊かな歴史と自然に恵まれた小城の地の羊羹づくりは盛業となりました。
先進的な食文化が育くまれた九州の地において、現在も多くの羊羹愛好のお客様により伝統製法、現代製法ふたつのあじわいの羊羹がそれぞれの特長により親しまれ、「羊羹の本場」の羊羹づくりが小城の地において続けれています。
令和二年「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード」が日本遺産に認定されました。江戸時代と現代をつなぐ、長崎街道を中心とした北部九州の伝統菓子が日本の宝と評価されたのです。
「おぎようかん」は構成文化財となり、日本遺産の中心を担うところとなりました。中国、南蛮などの海外の菓子文化が集積し江戸時代からの伝統が息づく肥前を中心とした地域は、まさに伝統菓子のメッカであることが示されました。
日本遺産「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード」の内「おぎようかん」、村岡総本舗本店、村岡総本舗羊羹資料館は構成文化財として認定されています。
昭和十六年建築の村岡総本舖砂糖倉庫は昭和五十九年村岡総本舗羊羹資料館となり、平成九年国登録有形文化財となりました。平成十七年には村岡総本舗本店とともに「二十二世紀に残す佐賀県遺産」となり、名実ともに「ようかんの本場小城」のランドマークとなっています。
㈠村岡安吉伝 1984年 村岡総本舗
㈡羊羹百話 1991年 村岡総本舗
㈢羊羹資料館案内 1996年 村岡総本舗
㈣肥前の菓子 1999年 村岡総本舗
㈤肥前の菓子シュガーロード長崎街道を行く 2006年 佐賀新聞社
㈥村岡総本舗羊羹資料館案内 2014年 村岡総本舗
日本人の知恵が集まりできあがった食文化のひとつ、羊羹が小城の自然風土ととけあってさらに多くの方々に愛好されるよう願いつつ、羊羹づくりを続けております。ここに羊羹、村岡総本舗の由来を略記し皆様方の平素の御愛顧に感謝申し上げますと共に、この上とも幾久しくお引き立ての程お願い申し上げます。
村岡総本舗店主敬白
村岡総本舗 羊羹資料館
小城羊羹初祖 村岡総本舗
創業1899年/佐賀県小城市/村岡総本舗羊羹資料館/人気の「シベリア」「カシューナッツ羊羹」「とら焼き宗歓」「小城羊羹・特製切り羊羹」、贈答には「極上羊羹」、その他「和栗の水羊羹」「黒豆羊羹」「小型小城羊羹デザイン箱」がおすすめです。資料館では「原材料と羊羹~弊店の羊羹のおいしさの秘密~」を開催中。